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2006年1月13日 (金)

○ 等価交換

 何かを失った人間が得れるもの・・・。

それは何かを失ったと言う現実と、何かを得なくてはならないと言う現実。

 もし等価交換の原理と言うものがあるなら、人は何かの代償の下で何か

を得れるはずである。

 人は何かを失った時に、両手一杯に抱えていた荷物の幾つかを処分する。

それは失う事に違いない。

しかし、両手一杯に物を持ち何かを得れるほど、人は多くを自らの手に持ち

合わす事は出来ない。

人は何かを失った時、一つの責務と一つの権利を得る。

その責務とは、その失う前の自分以上の自分である責務であり、権利とは

その失った物と対等の物を自らの手で掴み取る権利である。

 人は、何かを失えば弱くなる。しかし、何かを失った現実はどんな代償を

持ってしても帰ってこない。

失いしモノは、その十字架を背負いそれを代価としそれ以上の自分として

過去に得れなかった自らの得るべき物を得るために努力する必要がある。

 代価を支払った段階で、ソレを払わぬモノと同等な状態ではないのだから・・・。

それがいい意味であっても、悪い意味であっても、同等ではない現実は変

わらない。

 何かを失ったのなら、その失ったもの以上の何かを探し得なくてはならない。

その支払った代価が無駄でないと自分に理解させる為に・・・。

そして、その等価の何かを得るために・・・。

その代価を無にしない為に、過去の自分以上で居なくてはならない。

その代価は、誰の為に払われた物でなく、その代価は払うべくして清算され

たものでしかない。

 人は何かを得た時に何かを失い、何かを失った時に得る権利を有する。

人はその生涯の中で、それを反芻していくのかもしれない。

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